この記事を読んでいる人は、
「スラムダンクの宮城リョータはアメリカ留学したの?」
「映画の最後で沢北のチームと戦っていたのはなぜ?」
と思っているのではないでしょうか。
しかし、いざ詳しく知りたいと思っても、さまざまな情報が出ているため、どれを見ればいいかわからず困ってしまいますよね。
では、スラムダンクの宮城リョータはアメリカに留学したのでしょうか?
そんな人のために今回は、
- スラムダンクの宮城リョータはアメリカ留学したのか徹底追求
- 映画の最後で沢北のチームと戦っていたのはなぜなのか調査
上記の内容で記事を書いてみました。
この記事を見れば、なぜ宮城リョータがアメリカにいたのかが分かります。
ぜひ最後まで読んでくださいね。
Contents
スラムダンクの宮城リョータはアメリカ留学?
https://twitter.com/yo_shi_4415/status/1617388172245360642?s=20&t=8FyqDSpubjk-Nv7Es7ps6g
映画「THE FIRST SLAM DUNK」の最後のシーン、アメリカに渡った山王高校の沢北英治の姿が映しだされるのですが、そこにはなぜか宮城リョータの姿もあり驚かさせられました。
原作終了後に描かれた、漫画『スラムダンク あれから十日後』では、沢北がアメリカ行きの飛行機に乗る姿は描かれたのですが、宮城リョータのアメリカ留学は描かれていなかったので、このシーンに興奮を覚えた人は多いでしょう。
原作では山王戦後、宮城リョータは湘北高校のキャプテンになるとされているので、いきなりの設定に少し無理があるのではと感じた人もいたのではないでしょうか。
宮城リョータのアメリカ留学はファンとして嬉しいのですが、同時にいくつかの疑問も残りますので、納得いく形で考察していきます。
- アメリカに渡ったのはいつ?
→3年でキャプテンを務め終え、高校卒業した後 - 片親でアメリカ留学の費用はあったのか?
→スラムダンク奨学金を利用した - スラムダンク奨学金は誰でも応募できるのか?
→翌年卒業が見込める現在高校2年生の男子のみ - 英語の能力はあるのか?
→奨学金を利用するとプレップスクールに1年間通える - 1年後はどうするのか?
→アメリカの大学にスカウトされる可能性もある - 大学費用はどうするのか?
→プレップスクールで活躍した選手は奨学金がもらえる
→卒業後はNBA選手の可能性も
スラムダンク奨学金とは、原作者の井上雄彦氏が主催する「高校を卒業後、大学あるいはプロを目指し、アメリカで競技を続ける意志と能力を持ちながら、経済的その他の理由でその夢をかなえられない若い選手を支援する」ことを目的に設立されました。
スラムダンク奨学金に応募できるのは、翌年卒業見込みの現在高校2年生の男子のみですので、この条件は宮城リョータに当てはまります。
この制度の特徴ですが、奨学生をまずアメリカのプレップスクールに派遣、1年間そこでバスケや語学などを学ぶことで、NCAAあるいはその上のプロとしてプレーするチャンスが与えられるというものです。
宮城リョータがスラムダンク奨学金を実際に利用して、アメリカでバスケを続けていくというトーリー展開は、多くの人に夢を与えてくれるものでしょう。
映画の最後で沢北のチームと戦っていたのはなぜ?
やっと「THE FIRST SLAM DUNK」を鑑賞。井上雄彦先生が脚本&監督だが、考えたら漫画家って "映画を撮影するまでの要素" が殆ど揃っている職業か…。作品は山王戦をベースに主役になった宮城たちの物語をカットバックさせた傑作!沢北と再会するラストはやはり"スラムダンク奨学金"を利用したのかな…? pic.twitter.com/NrJYZpgKYf
— メガネの小池 (@sendaihagim) February 3, 2023
映画「THE FIRST SLAM DUNK」は最後、アメリカ留学した宮城リョータは沢北が所属しているチームと試合をしているという衝撃のシーンで終えられているのです。
全国大会終了後、当時高校2年生で沢北はアメリカに渡っており、高校卒業後にアメリカに渡った宮城リョータとの試合は、実現可能なのでしょうか。
試合シーンを見てみると、2人ともアメリカのカレッジバスケ風のユニフォームを着ていることが分かります。
そのため次のように考えられるのではないでしょうか。
- 沢北は大学1年カレッジバスケで腕を磨いている
- 宮城リョータはプレップスクール1年
- 両チーム練習試合をしている
体育館には観客もおらず、挨拶もラフな感じでおこなわれているので、公式試合ではなく練習試合と考えていいでしょう。
2人の今後はどうなるのか、映画の続編でその様子を描いてくれることを期待します。
宮城リョータ・沢北のモデルとなった選手
宮城リョータのモデルとなったのは、おもにフェニックス・サンズで活躍した、ケビン・ジョンソン選手だといわれています。
ケビン・ジョンソンは185cmと、NBA選手にしては小柄な体格ですが、高い身体能力を持ち、ドリブルやアシストの能力が高いことで有名でした。
一方で、沢北栄治のモデルとなったのマジックで活躍したペニー・ハーダウェイ選手だといわれています。
ペニー・ハーダウェイ選手は、史上最高のポイントガードとの呼び声高いマジック・ジョンソンになぞらえ、マジック・ジョンソン2世と呼ばれた名選手でした。
沢北のモデルは田臥勇太選手だという噂も
山王工業高校とモデルとされているのが、当時3年連続でインターハイ・国体、全国高校選抜の3大タイトルを制し、史上初の「9冠」を達成した、秋田県立能代工業高校であることは有名な話です。
そんな最強・能代工業高校で1年生からスタメンとして活躍した、日本人初のNBAプレイヤー田臥勇太選手が、山王高校の沢北のモデルなのではと一時話題になりました。
田臥選手と沢北はポジションやプレースタイルは違う点、田臥選手が高校に入学した年に、スラムダンクは完結しているて点からみても、モデルと考えるのは違うのかもしれません。
しかし、山王工業高校のモデルの能代工業高校で活躍後、田臥選手も沢北と同様に、アメリカの大学に留学している点は見事な一致といえるでしょう。
まとめ;スラムダンクの宮城リョータのアメリカ留学を応援しよう
スラムダンク見た。
— 佐藤 ネコハチ (@nekohachi_sato) December 15, 2022
連載当時からの宮城好きにはたまらない最高の出来。
一番印象に残ったシーンは、オーラスで沢北だけでなく、同学年のほぼ無名の選手もアメリカに挑戦していたところ。
【☆】9/10#映画 #スラムダンク pic.twitter.com/35dVKjxW2N
今回の記事では以下のことについて詳しくまとめてみました。
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スラムダンクの宮城リョータはスラムダンク奨学金でアメリカ留学していた
- 映画の最後で沢北のチームと戦っていたのはなぜ?カレッジバスケの練習試合
今回調べてみたところ、スラムダンクの宮城リョータはスラムダンク奨学金とういう制度を利用して、アメリカに留学していたのではないかという結論に至りました。
映画の最後で沢北のチームと戦っていたのはなぜなのか疑問でしたが、宮城リョータのプレップスクール、沢北の大学、お互いの学校同士練習試合をおこなっていたのでしょう。
映画「THE FIRST SLAM DUNK」は2人が試合しているシーンで終えられています。
宮城リョータはその後アメリカでどうなったか、映画の続編で描いてくれることを期待しましょう。